オーツボヒストリー

ネクストステージへ


 

ご挨拶

弊社は大正3年に創業し、100年を超える歴史を紡いでまいりました。

桑や鎌などの農機具や瓦の製造機を手掛ける小さな鉄工所からスタートし
地元柳川の特産品である海苔の乾燥機の製造や
建築、水門、昇降機設備などの建設事業へと業務を拡大し
現在の水産事業部と鉄構事業部の二事業体制を確立するに至りました。

大正、昭和、平成、そして令和と4つの時代にわたり
「皆様のお役に立つモノづくりを」と励んでまいりました。

なかでも海苔製造機については、数々の独自技術を開発し
海苔業界の近代化と合理化に貢献できたものと自負しております。

令和を迎え、社名を「株式会社オーツボ」と変更いたしました。
時代は大きく変わろうとしています。
弊社も新たなるステージへと向かっています。

これまで積み上げてきた実績と築いてきた信頼をもとに、
さらなる技術の向上と製品開発に努力を重ねる所存です。
今後も、より一層のご支援、ご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

代表取締役 大坪 とも子

変わらぬものとかわるべきもの。

100年前からずっと変わらないもの。
それは「皆様のお役に立ちたい」という想い。

「世のため、人のため」という創業者の魂を根に
私たちはお客様の声を聴き、
時代の風に向き合いながら
幹を伸ばし、枝を広げてまいりました。

揺るぎない想いは、困難を乗り越える糧となり、
お客様の信頼を得る大きな力となっています。

時代が変わり、世の中が求めるもの
お客様が求めるものが変わっても
長年受け継がれてきた魂があるからこそ
未来に向かって変わるべきものを
私たちは追求し続けていけるのです。

農機具や瓦製造機から海苔の乾燥機へ

我が社は、農機具や瓦製造機を作る鉄工所として、1914年(大正3年)に私の義祖父である大坪駒蔵が福岡県柳川市で創業しました。創業時は、鍬や鎌などの農機具を作っていたほか、筑後平野一帯で筑後川沿岸の粘土を使用して生産されていた「筑後瓦」の生産業者向けに、瓦製造機の販売も行っていました。しかしながら、1944年(昭和19年)頃から屋根瓦の材料として安価なセメントが普及し始めると「筑後瓦」の需要は次第に減少し、瓦屋も次々と廃業していきました。そのため我が社は瓦製造機に代わる新たな事業として米麦の乾燥機を開発し、農家への販売を始めました。この米麦乾燥機は大変好評だったのですが、その様子を見た大手の農機具メーカーによる参入が相次いで競争が激化。そこで駒蔵は、この乾燥機の製造で得たノウハウを活用して別の事業を立ち上げられないかと考え、着目したのが、地元柳川の特産品である海苔の乾燥機です。当時、有明海沿岸の海苔生産においては、海で採取した海苔を海苔簀で抄いて、一枚一枚天日干しをするという作業が行われていました。海苔の生産時期は冬の寒い時期であり、戸外で作業を行うのはとても大変だったため、こうした作業を何とか省力化してあげたいという思いから海苔の乾燥機を考案し、1959年(昭和34年)から製造を開始しました。

年間2,000台以上を販売した連続自動海苔乾燥機

海苔の乾燥器の製造開始から数年たった1962年(昭和37年)、海苔生産業者の方々から、さらに生産効率の良い乾燥機を作ってほしいとの要望を受け、新型海苔乾燥機の開発を始めました。おいしい海苔づくりのためには昔ながらの天日干しが一番です。そこで、新型機では乾燥機で天日干しに近い条件を再現することを目指して研究や試作を重ねました。その中で、海苔乾燥機に搭載するファンを大型化し、海苔に風をしっかり当てるようにしたところ、乾燥にムラがなくなり、天日干しのように海苔を乾燥させることができ、加えて乾燥時間をそれまでの半分に短縮できるようにもなりました。この新型海苔乾燥機は口コミであっという間に評判が広がり、海苔生産者の方々から次々と注文が入るようになりました。さらに1967年(昭和42年)には連続自動海苔乾燥機を日本で初めて開発しました。この乾燥機は海苔をベルトコンベアーの上に流しながら乾燥させるもので、それまでの乾燥機に必要だった乾燥庫からの出し入れという作業を行わずに、海苔を連続して乾燥させることができるようになりました。加えて、風の当て方を工夫することによって、海苔の生産効率の更なる向上も実現しました。この連続自動海苔乾燥機は大ヒット製品となり、ピーク時の1973年(昭和48年)には年間2,000台以上を製造・販売しました。その後も我が社は数々の独自技術を開発してきました。その中でも代表的な技術が「海苔剥ぎ機構」です。有明海で採れる海苔は非常に柔らかく、乾燥した海苔を台座から剝がす時にすぐ破れてしまうため、手で剝ぐような繊細な動作が機械に求められるのですが、我が社ではこれを独自の方法で実現しています。

「大坪会」と呼ばれる研修会は今も大きな財産

「大坪会」とは、我が社の海苔乾燥機を導入していただいた地元の海苔生産業者の方々向けに年に1度開催している海苔生産に関する勉強会のことで、1984年(昭和59年)以降毎年開催しています。この「大坪会」には福岡県の海苔生産者の方々だけでなく、東日本大震災からの復興を目指す宮城県の海苔生産者の方も参加されており、参加者の方からは、これからの海苔産業の発展に向けて話し合ういい機会になっているとの声を多くいただいています。また、この「大坪会」が発足した当時の会員の方々の中には、現在各地域の漁連会長や組合長などを務めておられる方も多く、こうした方々の存在は我が社にとって大きな財産となっています。

賞も授かり、海外への進出を果たした建設事業

我が社では海苔乾燥機の製造・販売の他に、鉄骨建築・昇降機設置・水門工事等の建設事業も手掛けています。建設事業は、将来にわたって会社が成長し続けるためには経営の多角化が必要という考えのもとで、創業間もないころから手掛けているもので、農舎や海苔生産の作業場などの建設から始まり、現在では工場倉庫や幅広い工事を手掛けています。建設事業の中でも特に我が社が強みを有しているのが水門工事です。水門工事は、水の豊かな筑後平野の治水のために始めたもので、設計から製作、工事まですべて自社で担い、多くの水門関連工事の実績を積み重ねてきました。2005年(平成17年)に「福建特賞※」を受賞し、我が社の水門工事技術が認められたことは大きな誇りとなりました。また、2012年(平成24年)からは治水事業が盛んなフィリピンでも水門工事を展開しています。
※福建特賞…福岡県土木事務所が推薦した企業がトーナメント方式で技術を競い合い、卓越した水門製缶技術に送られる賞

地元No.1の企業を目指して新事業にトライ

我が社の目指す姿は、「地元No.1の企業」です。具体的に申しますと、お客様により良い製品やサービスを安定して提供し続けることで、事業規模・利益で地元No.1の企業になることを目指しています。その目指す姿の実現のためには、何よりも「社会から求められるものを作り続けていくこと」が必要と考え、現在も新製品の開発や新事業に積極的に取り組んでいるところです。また、地域貢献の面では、「世の為人の為」という創業時からの社訓のもと、地元自治来への消防車や信号機の寄贈をはじめ、子供たちの教育環境の整備につなげることを目的に、地元小学校に図書や剣道具、花壇等を寄贈しているほか、「大坪奨学基金」を設立し、長年にわたり子供たちの学業支援を続けてまいりました。今後もこうした取り組みを続けていくとともに、「世の為人の為」に挑戦を続けていく所存です。

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